あなたは「極度の負けず嫌い」になっていませんか?
「無くて七癖、あって四十八癖」ということわざがあります。
これは、人は多かれ少なかれ何かしらの癖を持っているという意味です。
くせに限らず、人にはそれぞれの個性があり違っています。
そうだからこそ、組織になるとその多様性が発揮されて、組織の力となります。
全く同じ人ばかりだと、それはある意味、何人かはいなくてもいいとも何とかなるとも考えられます。
エクゼクティブ向けのコーチングの第一人者であるマーシャル・ゴールドスミス氏も長年に渡る経営者とのやりとりの中で、成功した人でも何かしらの癖(悪い癖)があると言っています。
以下は、ゴールドスミス氏の論文の和訳になります。
なお、マーシャルゴールドスミス氏の論文の翻訳については、ゴールドスミス氏ご本人の承諾のもとで行っております。
目次
極度の負けず嫌い (Winning Too Much)
10年間、ピーター・ドラッカー財団の理事会のメンバーとして、私はマネジメントの世界的権威であるピーター・ドラッカー(Peter Drucker)から話を聞く機会がたくさんあった。
この期間、ピーターは私に人生やリーダーシップに関して非常に重要な教訓を教えてくれた。
彼が私に教えてくれた最大の教訓の一つがこれだ。
「私たちはリーダーに何をするべきかを教えるのに多くの時間を費やした。しかし、何をやめるべきかについては十分な時間を費やしていない。私が出会ったリーダーの半分は何をするべきかを学ぶ必要はなかった。彼らは何をやめるべきかを学ばねばならない」
これにはもっともな理由がたくさんある。
おそらく、最も卓越したものは、リーダーと組織は前向きの勢いを維持するためにポジティブな行動への深い関与を示すことに注力する事実だ。
例えば、「他の人が話している間、iPhoneをいじる」と言った何を止められるかに注力するよりも、「私たちはもっと注意深く聞き始めなければならない」という言い回しを使うことだ。
同様に、ほとんどの組織の評価や報酬システムは、何かをしたことの評価を対象にしている。
例えば、私たちは良い何かをして称賛される。悪い何かを止めて評価されることはほとんどない。
どのようにして、コーチングやリーダーシップ開発で「何をやめるべきか」を使うか
最初のステップは、どんな行動を止めるべきかを特定することだ。
私の著作「What Got You Here Won’t Get you There (邦題:コーチングの神様が教える「できる人」の法則)」で、リーダーの20の悪癖について議論している。
私が出会った人は全て、それらの行動の一つ以上を示している。
私を含めて! リストを見直して欲しい。あなたはその悪癖のうちどれが当てはまるだろうか。
もしあなたが大多数の人たちのようであれば、答えはイエスだ。
そしてあなたは「何をやめるべきか」を使い始める準備ができている。
- 極度の負けず嫌い:どんな状況でも何としても勝ちたい要望。
- 何かひとこと価値を付け加えようとする:全ての議論に2セント付け加えたい圧倒的な要望。
- 善し悪しの判断をくだす:他人を評価し、自分の基準を彼らに押し付けたい要望。
- 人を傷つける破壊的なコメントをする:自分で自分のことを機知に富んでいると思わせる不必要な当てこすりや嫌み。
- 「いや」「しかし」「でも」で話を始める:ひっそりと皆に「私は正しい。あなたは間違っている」と言う、ネガティブな修辞語句の過度な使用。
- 自分がいかに賢いかを話す:人々に彼らが考えているよりも賢いと示したい要望。
- 腹を立てている時に話す:マネジメントツールとして感情的な不安定さを用いること。
- 否定、もしくは「うまくいく訳がないよ。その理由はね」と言う:尋ねられなくても、自分たちのネガティブな考えを共有したい要望。
- 情報を教えない:他人への有利さを獲得・維持するために情報を共有するのを拒むこと。
- きちんと他人を認めない:称賛や報いることができないこと。
- 他人の手柄を横取りする:いかなる成功に対する私たちの貢献を過度に見積もる最も厄介な方法。
- 言い訳をする:永遠に続く私たちの厄介な行動を再配置したい要望。だから人は言い訳をする。
- 過去にしがみつく:過去からの出来事や人について、自分たちへの非難をかわしたい要望。他の誰かを非難する部分集合になる。
- えこひいきをする:誰かを不公平に取り扱っていることを見過ごすこと。
- すまなかったという気持ちを表さない:自分たちの行動に責任が取れない、自分たちが間違っていると認められない、自分たちの行動が同他人に影響するか理解できないこと。
- 人の話を聞かない:同僚に対する尊敬を欠いた最も受動攻撃性なかたち。
- 感謝の気持ちを表さない:無作法の最も基本的なかたち。
- 八つ当たりする:私たちを助けようとしている無実の人を攻撃する見当違いの要望。
- 責任回避する:自分たち以外の全員を非難する要望。
- 「私はこうなのだ」と言いすぎる:それが私そのものだという理由で誤りを美点と讃えること。
このリストを見直した後、あなたたちのうちでまだ何をやめるべきかが分からない人のために、他の全てに優先する一つの癖がある。
あなたは、この悪癖に参加する大多数の人たちの一部になるだろう。
私が何年にもわたりコーチングをしてきた成功したエグゼクティブの一番の問題は何だろうか。
それは、極度の負けず嫌いだ。
極度の負けず嫌い
極度の負けず嫌いは、ほとんどに人にとって一番のチャレンジである。
なぜならば、それは他のほとんど全ての行動的な問題の基礎にあるからだ。
もし、私たちが議論をし過ぎるのなら、私たちは自分の観点を広めたいからだ(言い換えると、私たちは勝ちたい)。
もし私たちが他の人を責め立てたるなら、それは私たちが彼らを下に置こうとする方法である(再び、勝つこと)。
もし、私たちが情報を公開しないなら、それは他の人に対する有利な立場を得たいからだ。
もし、私たちがえこひいきをするなら、それは支持者を得ることで、「こちら側」がアドバンテージを持つのだ。
勝つことへの強迫観念は、私たちの人生の中ですれ違う。
それは私たちの職業的な生活での問題だけではなく、個人的な生活にも同様に食い込んでくる。
勝者は勝利を好む。
だから、もし:
- 重要なら、私たちは勝ちたい。
- 意味深いものなら、私たちは勝ちたい。
- 重大なら、私たちは勝ちたい。
- つまらなくても、私たいは勝ちたい。
- 価値がない? とにかく私たちは勝ちたい!
聡明な成功した人たちにとって、常に勝てないのは信じられないくらい難しい。
あなたが極度の負けず嫌いの癖があるかを調べるちょっとしたテストがある。
ほとんどの人がこのテストに落第している(彼らはその癖がある)。
このケーススタディに直面した時、大抵の人は自分たちがやるべきだと知っていることの正反対をしていることに気づくのだ。
ケーススタディ#1
あなたは、レストランXにディナーに行きたい。
あなたのご主人、奥さん、友人、パートナーは、レストランにディナーに行きたい。
あなたは熱の入った議論をした。
レストランに行くことになった。
これは、あなたの選択ではない。
食事は酷いし、サービスが最悪だった!
選択肢:
- 料理を非難する。パートナーが間違っていて、彼・彼女があなたを聞いていたならそれは避けられたと指摘する。
- 黙って、料理を食べて、その夜を楽しもうとする。
これは、「何をしたのだろうか/何をすべきだったのか」という古典的なケースである。
あなたは何をするのか。
料理を非難する。
あなたはなにをすべきか。
黙っておく!
さらにひどい極度の負けず嫌いの別の例がある。
ケーススタディ#2
あなたは職場で大変な一日を過ごした。
帰宅した。
あなたの旦那さん、奥さん、友人、パートナーがいた。
その人が、「今日は大変な一日だったの…」と言った。
あなたは彼らに話を終わらせなかった。
割り込んでこう言った。
「大変な一日だって! 私が今日一日我慢しなければならなかったことをどう思うの?」
私たちは、非常に競争心が強く、一緒に暮らしている人よりも悲惨であることにも勝たいのだ!
最近、私のクラスに参加した若者が、電子メールを送ってきた。
彼の奥さんが前日に電話をしてきて、彼女が大変な一日を過ごしたと話したと書いていた。
彼は彼女の話に割り込んで、彼女にどんなにその問題が彼を青ざめさせたかと告げたかった。
代わりに、この事例を覚えていて、彼は止めて、一息入れ、奥さんの話を聞き、こう言った。
「愛しているよ、家族のために犠牲になってくれてありがとう」
帰宅の途中、彼は25ドルの花束を奥さんに買った。
自宅に着いて、彼はその花束を奥さんにあげて、愛していると言った。
「それは私が使った中で最高の25ドルでした。ありがとう!」と彼は書いていた。
次回、あなたが勝とうとし、あなたが正しいと証明し始めた時、深呼吸をし、自分自身に尋ねてみる。
まさに、私は何に勝とうとしているのか。
これは本当に私が勝ちたい、それとも勝たねばならないものか。
これはその労力に見合いさえするのか。
もし私たちが全ての対人関係でこの「欠点」を評価し、それを抑えることに取組めば、私たちはもっと成功するだろう。
最後に
いかがでしたか。
あなたにも20の悪癖のうちに思い当たるものがあるのではないでしょうか。
自己チェックしてみて下さい。