タイ人と上手く付き合っている人だけが知る秘訣とは?
タイは「微笑みの国」と言われます。
国民の大半が仏教を信仰しているからでしょうか。
それとも南国特有のおおらかさ(タイでは良く「マイペンライ(大丈夫、気にしない)」が使われます)のでしょうか。
初めて観光でタイを訪れたときに、レストランや商店の店員が日本では出会ったことのない微笑みで迎えてくれたのが非常に印象的でした。
しかし、ビジネスではこの微笑みが時として、日本人である私たちを悩ませてしまうことがあります。
以前、日本の製造業の経営支援をしていた時の話です。
この会社は、情報システムの刷新に取り組むことになり、タイにある工場もその対象となりました。
工場を訪れ、情報システム部門のタイ人のスタッフとこれから実施すべき事項について、打ち合わせを持ちました。
打ち合わせの最後に、ホワイトボードに工程表を書いて、確認をしました。
「このデータの整備は、○○さんが△△月までにやって下さい」
「利用者への説明会の選定を□□さんが☆☆月までに済ませて下さい」
「その選定に基づいて、説明会の開催通知を★★月までに済ませて下さい」
タイ人スタッフは、ホワイトボードの内容を熱心にメモしています。
したいと思います」
と言って打ち合わせは終わりました。
こちらとしては、内容を丁寧に説明し、質問もなく理解できたという事だったので、「あとは計画通りに進めていけばいい」と安心していました。
しかし、翌週の進捗会議で全く作業が進んでいないことが判明しました。
ある時、タイに駐在している日本人の方と話す機会があり、このことにも触れ、私の方から「やはり、南国という気候のせいが影響してのでしょうか。みんな大らかで、こちらが判
ったかと念を押したら『判った』と言ったのに、実際には判ってなかったんですよね」と半ばあきらめ気味の発言をしました。
それに対して、その人はこんなことを話してくれました。
- タイの人というのは、仏教への信仰が篤いので、争うとことを好まないが、同時に自尊心も非常に高い人が多い。
- そのため、「判ったか」と聞かれても、自分が「判っていない」ということを公言するのをはばかる傾向がある。そのため、あえて「判った」と言ってしまう
- 一方で、相手に対する思いやりも非常に強く、自分が判らなかったというのは、相手の説明が悪かったためだが、そのことを相手に直接伝えるのを避けるため、あえて
「判った」と言ってしまう
その説明を聞いて、「なるほど、そういう考え方もあるものか」と気づかされました。
改めて、文化の違いを知らされた訳で、より丁寧に説明するだけでなく、同じ内容であっても毎日説明することで、相手の理解度を把握する必要があると実感した出来事でした。