書評「熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録」
カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案が可決され、日本でもいよいよカジノが作られることになりました。
そのニュース報道などでよく大王製紙前会長 井川意高氏が登場していました。
この井川氏は、大企業のトップを努めた人だが、カジノにはまってしまい、100億円もの資金を関係会社から不正に融資させた人物です。
井川氏の著書「熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録」には、なぜ莫大な資金をカジノにつぎ込んでしまったのか、その経緯が描かれています。
事件発覚の2011年当時は、その金額の大きさや本人の社交関係の華やかさなどから、事実無根の報道が面白可笑しく紙面をにぎわせていました。
本書は、それらの報道に体する反論の意味もあるのでしょう、前半は本人の生い立ちや大王製紙グループに入社してから経営者として華々しい実績をあげたことに紙面が割かれています。
後半に入ってようやく企業の舵取りの傍ら、カジノにのめり込む様が描かれています。
彼はカジノへのあまりののめり込みすぎるあまり、ついに関連会社から個人あてに資金を融通させてしまいます。
この時に経営者として、創業者一族の一員として相当な精神的な葛藤があったのではないかと思いきや、担当役員に電話一本かけて資金を振り込ませており、あまりのあっけなさに唖然とさせられます。
その後は、複数の関連会社から毎週数億円単位で融通し続け、結局内部告発により横領の罪に問われることとなりました。
何が彼をそうさせたのでしょうか。
最後に「自分はギャンブルが好きでたまらなかった」という告白で終わってしまい、あまりの薄っぺらい結末に甚だ読後感が悪いものです。
自分なりに考えてみると、全編を通じて彼のものの見方が「私」もしくは「井川家」だということが判りました。
たしかに経営者として実績は残しているが、それも「創業者一族の御曹司だから駄目だったんだ」と言われたくないという「私」視点で仕事に携わっていただけで、グループで働く従業員や取引先、ひいては地域社会や消費者に対する強い思い入れは伝わってきませんでした。
そのため、自分が株主を務める関連企業からは「運転資金ではなく余裕資金だから良かった」との認識で資金を流用したのです。
そのためでしょうか、カジノにのめり込み方も罪悪感があまりありません。
本書の中でも彼は臆面もなくこう言っています。
「カジノのテーブルについた瞬間、私の脳内には、アドレナリンとドーパミンが噴出する。勝ったときの高揚感もさることながら、負けたときの悔しさと、次の瞬間に沸き立ってくる『次は勝ってやる』という闘争心がまた妙な快楽を生む。だから、勝っても負けてもやめられないのだ。地獄の釜の蓋が開いた瀬戸際で味わう、ジリジリと焼け焦がれるような感覚がたまらない。このヒリヒリ感がギャンブルの本当の恐ろしさなのだと思う」
不正流用した100億円は、結局一族の資財から返済されたのですが、「返済したのだから、懲役ではなく執行猶予に」ということで、最高裁まで争っています。
今回の騒動では、流用した額以上に大王製紙グループとしての信用にキズがつき、そのダメージは計り知れないということを全く考えていないこの発言は、反省していないというか、認識が甘いというかあきれてしまいます。
結局のこの騒動で創業一族は経営から退くことになったのですが、オーナー企業の悪しき面も影響しているのでしょう。
関連会社の役員は「創業家が怖くて逆らえず」資金の送金を続けていました。
これは先代、先々代の社長に諌言したものは、ことごとく不遇の目に会っていたためだと思われます。
勇気あるものの内部告発で発覚したのですが、それがなければ不正流用額は、どこまでいっていたかわからなかったとも言えます。
彼は、ゴールドコーストで初めてカジノに足を踏み入れてから、ラスベガス、マカオ、シンガポールでギャンブルを続けるのですが、マカオのカジノのシステムの巧妙さには驚くばかりです。
高額の掛け金でギャンブルする人たちは、一般の人とは別のVIPルームで遊ぶのですが、そこに入るためにはコンシェルジェの紹介が必要です。
コンシェルジェは客がギャンブルするために、カジノまでのフライトチケット手配、ホテルの予約、同伴した家族の面倒まで見るいった至れり尽くせりのサービスを行います。
彼らはカジノから客の使った金の何パーセントかを得るのですが、その客が負けが込んだときは、カジノ側に「この客ならいくらまでなら借金できる」と値踏み、借金させてギャンブルを続けさせます。
まさに骨の髄までしゃぶり尽くすといった感じです。