ベトナム人と上手く付き合っている人だけが知る秘訣とは?
ベトナム。
南シナ海に面して長く南北に広がり、美しい自然や歴史的建造物などで有名な国です。
社会主義国ですが、1980年代の後半に「刷新」を意味する“ドイモイ”を導入し、経済を開放しました。
それ以降、経済は成長を続け、現在では外見から見ただけでは他の東南アジアの国と区別ができないほどの発展ぶりです。
そんなベトナム人の生活を代表するのが、バイクです。
首都ハノイの朝夕のラッシュ時は道路を埋め尽くさんばかりの数のバイクが行き来し、まるで向こうからバイクの波が押し寄せるような迫力があります。
道路を横切るときには、バイクを乗っている人が上手くよけてくれるのですが、慣れるまではヒヤヒヤものです。
海外でビジネスをする時には、現地の文化・風土を理解し、尊重をして臨むべきと、書籍などでも書かれています。
しかし、実際にその場面に接してみないとその文化的な違いを理解できないもです。
ベトナムでの合弁事業
これは、ある企業の海外展開を支援したときの話です。
その会社は、自分たちの生産技術を海外にも広めたい意向があり、ベトナムでも現地の企業に対して、生産術指導を行い、指導料を得るという事業を始めました。
現地パートナーは、技術士同様の施設も作り、技術指導が無事に始まりました。
しかし、彼らは技術指導が始まって間もない頃から、将来の事業拡張の話をし始めました。
「あなたの会社と合弁事業を立ち上げて、この生産方式の施設をベトナム全土に展開し、ベトナムでナンバーワンの生産者になりましょう」と先方は鼻息もあらく、将来構想を語ります。
しかし、日本側としては、ようやく立ち上げた技術指導である程度の成果を上げてから、腰を据えて事業拡張について検討したいと思っていました。
とはいえ、事業を大きくすると言うのは、悪い話でもないので、合弁事業の契約の前に、まずは両者のその目標に向けた意識あわせとして覚書を取り交わしましょうということになりました。
その頃から、先方の話のトーンが少しずつ変り始めます。
明言はしていないのですが、どうも、先方の話の中に、事業拡張の資金を全て日本側で調達してもらいたいというニュアンスが含まれるようになりました。
それは、合弁事業なので双方の出資比率に応じた資金負担で生きたい日本側の思惑とは異なるものでした。
そんなしっくりこない印象を抱いているうちに、いよいよ覚書の取り交わしになりました。
その覚書の内容を見て、こちらは驚いてしまいます。
覚書の中には、「合弁事業に必要な資金は、全て日本側が日本政府と連携して調達する」となっていたのです。
あわてて、内容の修正して覚書を締結することになりました。
ベトナム人気質について
経済発展を遂げているとは言え、まだまだ日本とは経済格差があるので、こちらに頼るという気持ちもわからないではないですが、全てお任せというのは、あまりにの都合がいいのではという気持ちが日本側に起こります。
しかし、なぜこんなことになってしまうのでしょうか。
この事業に関して、ベトナムのハノイを訪問した時に、現地で活躍している日本人の方と話す機会がありました。
たいていの人は、「ああ、それはあり得ることですね」とそれほど驚く様子もありません。
詳しい背景を聞いてみると、次のような話をしてくれました。
ベトナムの人というのは、相互扶助というか、助け合いの精神を非常に強く持っていそうです。
例えば、街に溢れているバイクですが、一族の中で誰かがバイクを買う場合、一族の人たちがバイクの代金を出し合ってくれるそうです。
それでは、代金を出してもらった人は、その後少しずつお金を返していくかというとそういうことはなく、出してもらうことが当たり前で返す必要はないという風潮があるのです。
なので、ビジネスにおいてもベトナム人とお金のことで交渉するときは細心の注意を払うべきだとアドバイスされました。
その話を聞いて、「なるほど。それと同じ気持ちでこちらに資金を出してもらおうとしていたのか」と納得したのを記憶しています。
しかし、日本人にも助け合いの精神はありますが、同じ助け合いの精神と言っても、どうもかみ合わない印象があります。
先日、そのことを思い出していたときに、ふと気づいたことがあります。
そのかみ合わないというか、しっくりこない原因は、日本人とベトナム人の時間に対する認識の違いではないかということです。
日本人的な感覚でいうと、「借りたものは返す」という借りことと返すことは非常に時間的にも近い考えです。
ベトナムの人は、ある時に借りたものは、いずれ返すというもっと時間軸が長いのではないかもしれない。
つまり、お金を出してもらえるというのは、その時は余裕があるので、すぐに返さなくても、いずれ必要になる時に返せばいいのではないかという考えです。
例えば、お変えを出してもらった人の子供が大きくなってバイクを買いたいと言い出したその時に、昔出してもらった分を返すことで、チャラにするという意識があるのではないでしょうか。
こう考えたとき、合弁事業に関する先方の申し出の裏にある期待が理解できたような気がしました。
最後に
いかがでした。
「相互に助け合う」という同じ概念を持ち合わせていても、その実現の時間軸が違うと、理解できないこともあるようです。