私はいかにしてコンサルタントになったのか?

はじめまして。今日からブログを始めることにしました。

まずは、自分のことを知ってもらいたいと思い、プロフィールを書くことにしました。

 

生まれは兵庫県神戸市

私は兵庫県の神戸市で三人兄弟の次男として生まれました。

神戸市の中でも西にある須磨というところです。

ここは古くから風光明媚な場所として有名でしたが、平安末期の源平合戦で、源義経が平家に壊滅的な一撃を与えた「一の谷の戦い」が行われた場所です。

父は、もともとは会社勤めをしていましたが、脱サラをして中小企業診断士の資格を取り、自宅で仕事をしていました。

幼い頃は、友達のお父さんと違ってなぜうちの父親は会社に行かないのかと不思議でしたが、気がつけば自分も父と同じ独立コンサルタントとして活動しているのは何かの因縁かと
も思っています。

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一発逆転! 大学受験

小学・中学と地元の学校に通い、高校は県内の公立の進学校に入学しました。

特に高校で何をするかを決めていなかったのですが、同じ中学から行った同級生が
「この高校にはラグビー部があるんだが、一緒に入部しない?」と誘われて、ラグビーを始めることになりました。

その時のラグビー部の部長は、この高校の卒業生なのですが、体育大学を卒業したばかりで、とにかく厳しい指導が続きました。

私自身も初めて楕円球を触るので何とかして上手くなりたいと朝の自主練習から放課後の練習までと、高校生活が部活動一辺倒の生活になりました。

そんな生活を続けていましたが、高校三年になって自分の進路を決める時期になりました。

進学校だったので三年生は春の大会で引退し、それ以降は受験勉強に専念するというのが慣わしだったのですが、自分たちのチームは春の大会でいい成績を残し、もしかしたら年末の全国大会にも出れるのではという評判が立ちました。

ラグビーの全国大会は花園で行われ、高校ラガーにとっては野球の「甲子園」のような憧れの存在です。

チーム内でもさんざん話し合ったのですが、結局12名いた三年生のうち、自分を含めて4名しか残らないことになりました。

このため戦力の低下は否めなく、秋に行われた全国大会の予選の準決勝で敗退し、花園の夢は無残にも砕け散ってしまいました。

気がつけば、そろそろ年末を迎えようとした頃でしたが、全く受験勉強などしなかったので、予想通り受験した大学からは合格をもらえず、浪人することとなりました。

ここでふと考えたのです。「一年間という期間を与えられたのだから、どうせ受験するなら、そこそこ勉強して近くの大学に無難に入学するよりも、一番難しい大学に挑戦するべきだ」という思いから目標を立てました。

  • 当時はまだ共通一次試験の頃で、国立大学は受験科目数が多く、限られた時間の中では全ての科目のレベルを上げるのは難しい
  • 私立大学は、受験科目の少ないところもあるので、絞り込んで徹底的に勉強すれば勝ち目があるかもしれない

最初、近くの予備校に通い出したですが、全員の理解を確認しながら授業を進めていたので、「このスピードでは駄目だ」と一ヶ月近くで辞めてしまい(今考えると勿体ないことですが)、それからは一人で勉強を進めることになりました。

朝9:00に自転車で図書館に出向き、そこで17:00まで勉強をし、その後自宅で夕食を取った後に、また3〜4時間程度勉強するという生活を一年間続けました。

すると不思議なもので今まで全然勉強をしなかった自分が勉強をすることにも苦を感じなくなり、当時の私立大学の偏差値のトップの大学に合格したのです。

 

大学時代から就職まで

それでは、大学入学後も勉強を続けていたのかといわれると、またラグビーの虫が目を覚ましてしまいました。

しかし、親元から離れて仕送りをしてもらう立場上、自分でもお金を稼がなければならなかったので、大学のラグビー部ではなく、クラブチームという同好会的なところでラグビーを続けました。

当時は大学四年生の夏に就職活動が始まっていました。

バブルの終盤にさしかかっていましたが、いまだ「売り手市場」で各企業の学生の引き留めが盛んな頃でした。

就職人気ランキングなどから商社や銀行などが人気でした、しかし、金融のように目に見えないサービスではなく、実態のあるものを扱いたいという思いもありましたし、日本のメーカーが世界を席巻していたこともあり、コピー機などの事務機器を製造するメーカーに就職しました。

 

冷や汗もののクレーム処理

この会社で、事務機に使うサプライ用品を東南アジアの各国向けの販売を担当していました。

この製品は感熱紙といって紙の上に熱で反応する薬剤を塗布したもので、主にファックス機で使われていました。

ある時、この感熱紙を鉄道のチケットとして利用したいという話が台湾から届きました。

これは当時の東南アジア地域での販売からみてもかなり大きな商談で、部内での大きな話題となりました。

しかし、商品を出荷してしばらく経ってから、お客様から「印字した文字が消えてしまう。どうなっているのか」というクレームが入りました。

出荷した製品は、コストを抑えるために熱によって印字された文字が褪色しないようにする保護層が表面に塗布されておらず、印字してから日数がたつと文字が薄くなるのは仕方のないものでした。

しかしお客様は「字が消えるとはどういうことか。欠陥品でないのか」は非常に怒っており、商品の全量を無償で切り替ることを要求してきました。

日本ではこの製品は、一日の使い切り用切符として販売していたが、この台湾のお客様は前売りチケットとして発売することを考えておられたのです。

このため、何ヶ月もなめにチケットを購入しても、実際に乗車する際に文字が判別できなくなってしまうのです。

自分たち常識で、「この商品はこういう風に使われるものだ」と勝手に判断してしまい、お客様に確認しなかったためにこのような事態が発生してしまったのです。

クレーム発生後、窓口担当として社内の製造、研究開発、品質保証と連携し、どのように対応するかを検討し、また何度も台湾に足を運び、お客様に製品特性の説明とここに至った経緯を丁寧に説明しました。

その努力の甲斐が実り、結果的に発生した費用を折半することで決着しました。

合意に至った時に先方の責任者から、「あなたには非常に熱心に対応してもらったのが良かった」とお褒めの言葉を頂き、それまでの苦労が消えるような気持ちになりました。

 

コンサルティング業界への転身

その後も、そのメーカーで、中南米向けのコピー機の新商品の立ち上げなどに参画し、順調なサラリーマン生活を続けていました。

しかし、ある時、欧州から帰任したての上司から「君はあまりものを考えて仕事をしているようでないね」と言われました。

台湾でのクレーム処理など自分では物事を考えてやっているという自負があっただけに、この言葉には少なからず衝撃を受け、思わず「ちゃんと考えていますよ」と言い返してしまいました。

しかしながら、冷静によく考えてみると、私が勤務していた会社は、業界でもトップ企業でしたし、精密機器業界自体がある意味で成熟期にあり、事業が安定的に進んでいました。

そのため、次の年にどのような事業成績になるかはある程度目処がついており、事業計画の作成の時も「それじゃあ、昨年度の5%増しで」といった感じでした。

全てが予定調和的に進んでいた環境にいたので、考える範囲が非常に狭まっていたこのです。

その点をこの上司は指摘したのだと思います。

「このまま、この会社にいたら自分自身が駄目なビジネスマンになってしまうのでは」という危機感が自分の中でふつふつと沸いてきたのです。

とにかく「考える」ということにきちんと向き合おうと思い、まずは社会人向けの大学院に入学し、仕事を続けながら経営学を学び直すことにしました。

仕事の後の夜間と週末の授業への参加と修士論文の作成と、ある意味、浪人時代を思い出させるような生活になりましたが、無事に二年間のカリキュラムを修了することができました。

その大学院での他の会社に勤務する社会人学生との交流は、次の自分のキャリアを考える際のいろいろな気づきを与えてもらいました。

その時に経営コンサルティングという仕事を知り、非常に興味を抱きました。

経営コンサルタントは、

  • 企業における重要な節目での活動(例えば中期事業計画の作成や組織変更など)に常に携わることができる
  • そのような節目の仕事は、一つの企業に勤めていると5~10年おきに訪れるが、自分がその時にその活動に参加できるかはわからないが、コンサルタントは常にそのような機会に接することができる
  • 結果的に短期間でもかなり「濃い」経験が得られるのではないか
  • 何となく「コンサルタント」とい響きが格好良かった(ミーハーですね)

という期待から、メーカーを退社し、外資系のコンサルティング会社に転職することにしたのです。

 

自分の実力のなさを思い知らさせる

たしかに前職の上司の指摘は正かったことが判りました。

外資系のコンサルティング会社に転職し、「これからは企業の様々な経営課題に取り組み、知識と経験を身につけ、将来は経営する立場に身を置きたい」という願望をもって意気込んでいましたが、自分の実力のなさに痛感してしまうことになりました。

そのコンサルティング会社は、当時ある分析手法を売りにしていたのですが、これは手法そのものを売ると言うよりも、その手法で業務を分析して最終的にその会社が一番売り込みたいERPシステム開発を受注するためのきっかけとして使われていました。

この手法を使って、ある会社の研究開発部門の改善というテーマがあり、そのプロジェクトのプロジェクトマネジャーを任されることになりました。

自分としては初めてプロジェクトの実行責任者としてプロジェクトをリードすることになったのです。

お客様の会社の経営陣は、市場が変化している中で次の打ち手としてどんどん新規分野への取り組みを進めたいのだが、製品開発の肝である研究開発が何をしているのかが全く判らないという悩みがありました。

そのため、この手法で実態を「見える化」したいという思いで、発注された訳です。

チームメンバー三名と共にこの手法を導入して実態の解明を行おうと考えていたが、世の中そんなに甘くなかったです。

そもそも研究開発というクリエイティブな業務に効率性という視点を取り込もうとするのが無理なことであり、結局改善の打ち手がみえないという状況に陥ってしまいました。

上司に相談しようにも、コンサルタントとしての実力がないために、話にならず論理的にかつ突き詰めて考えいないといつも怒られていた。

個人的に非常に追い詰められてしまった。あまりに疲労困憊して、入浴中に眠ってしまい、あやうく湯船で溺れそうになったくらいです。

しかし、あるときふと「仮説思考だとか論理的思考だとか大上段に構えずに、シンプルに考えればいい」ということに気づいた途端、目の前が明るくなった気がしたのです。

今にして思えば、この経験があったからこそいまもコンサルタントとして活動できているのだと思います。

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事業会社の取締役として

経営コンサルタントとして支援した業界は、メーカー(半導体製造会社、自動車部品製造会社、住宅資材製造会社など)、サービス業(警備会社、不動産会社、出版、人材派遣会社等)、金融業、通信業等多岐に渡り、八年近くが経ちました。

たしかに経営コンサルタントは、企業の経営課題の解決に向けた支援を行うのですが、あくまでも「外部のアドバイザー」の域を出ることはなく、最終決定するのはクライアントになります。

これまで状況から最も合理的な解決策と考えて提案しても、採用されないこともあるし、フィーの高さから契約が取り組みの半ばで終了されることも多く、やりきったという感じが得られないことに疑問を感じることが多くなりました。

一度反対の立場で経営を見てみれば、お客様の考えていることや判断基準がよく理解でき、今後のコンサルティングというサービスを提供する際の幅と深みがでるだろうと思うようになりました。

そんな折、当時勤務していたコンサルティング会社のお客様のひとつに投資ファンドがあり、その投資先の経営陣の変更を考えているという話がありました。

その投資ファンドは、対象となる会社に投資して5年近く経ち、そろそろ事業売却を考えていたのですが、経営陣と対立してしまい、膠着状態が続きました。

私のコンサルティング会社に相談に来られ、経営陣の刷新という苦渋の決断をすることになりました。

自分としては、丁度タイミングのいいときに事業会社での経営に参加できるという話があり、売却の環境が整うまでと言う期間限定でしたが、挑戦することにしました。

しかし、この経営陣の交代は社内にも全く知らされておらず、社員にとっては「青天の霹靂」に近い一大事だったのです。

私は肩書き的には「専務取締役」ですが、社員から見れば、いわゆる「落下傘的」にやってきた新経営陣なので、最初の大きな課題が経営交代に伴って会社が空中分解してしまわないようにすることでした。

その課題に対してまず「新経営陣としてのビジョン」を示す必要があるだろうということで、そのため就任三ヶ月で中期事業計画を一気に作成し、全社方針発表会で新経営陣が目指す経営について社員説明することができました。

この他にも、不採算事業の整理統合など、コストの垂れ流しの構造に歯止めを掛けることについても陣頭指揮を執り、ようやく売却の環境が整ったと言うことで当初の約束通り、この会社を退任することになりました。

 

このブログを始めた理由

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その後、経営コンサルティン会社と事業会社で得た経験をもとに、組織ではなくもっと機動性の高い独立コンサルタントとして活動しようと言うことで、会社を設立しました。

現在は、お客様の会社が事業目標を達成できるにするために、組織や人の生産性を向上させるお手伝いをしています。

特に、人の生産性の向上に関しては、ビジネス・スキルのトレーニングだけでなく、行動面の変革を促すコーチングまで手がけています。

このブログを始めた理由ですが、メーカー、コンサルティング会社、独立と様々な経験をしてきましたが、今振り返ってみると「あの時、こういう視点があれば苦労せずに答えを導き出せただろう」とか「このノウハウを知っていればもっと手短にこなせただろう」と思うことがたくさんあります。

当時の自分に教えることができればいいのですが、残念ながら、時計の針を巻き戻すことはできません。

携わっている仕事は違えども、同じ悩みに直面している30代の方が多いでしょう。

このブログで、困ったときに役立つノウハウやコツを伝えることができれば、少しはお役に立てるのではないかと思い、ブログを始めることにしました。

yujiro akimoto
  • yujiro akimoto
  • 【経歴】
    兵庫県神戸市出身。

    大学卒業後は、日系の精密機器メーカーに入社。約9年間に渡り人事、海外販売 (東南アジア地域)、営業支援などの業務を経験。

    その後、コンサルティング業界に転職。
    戦略コンサルタントとして、通信業・製造業・専門サービス業などのクライアントに対する戦略立案や戦略の実行支援などに携わる。

    コールセンター会社の経営企画と人事の担当役員として事業会社の経営に携わった後に、株式会社秋元アソシエイツを設立し、組織の生産性向上などのコンサルティングサービスを提供する。

    【資格】

    Marshall Goldsmith Stakeholder Centered Coaching (Certificated Coach)
    全米NLP協会 プラクティショナー
    TOEICスコア: 915

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